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沖縄 ひろし

沖縄の城跡、石獅子、大川など歴史的遺構を紹介しています。
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石塘根(いしどーにー)
石塘根

表示板より
 石塘根には次の伝承があります。昔、久米島である年に、長い旱魃が続き、人々が飲み水にも困っているとき、嘉手苅之比屋の飼い牛が縄を切って逃げ出したので、比屋はその後をつけてみると、牛は林の中にある石の塘根から清水を飲んでいました。
 そこで比屋は、「こんな日照りの際にしかも石の塘根から清水がわくとは不思議なことである。ここはきっと神霊のまします所に違いない」と思い、セナイツウシという根神に請うて雨乞いの祈願をさせたところ、たちまち大雨が降り、人々は旱魃の苦しみから救われました。それ以来この地を拝所として崇敬し、雨乞いの祈願所となりました。
 石塘根は現在も水をたたえており、上記の伝承を伴う貴重な遺跡です。

石塘根 久米島の史跡





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未分類 | 15:38:53
米須城跡
米須城跡

表示版より
 米須グスクは、十三〜十五世紀頃のグスク時代に栄えたグスクです。市内にあるグスクの中でも比較的保存状態が良いグスクです。高さ約3m、幅約1.5〜2mの野面積み石垣が巡らされています。石垣によって二つの郭で仕切られ、一つの郭内には建物跡らしき遺構があって、当時をしのばせます。このグスクにはつぎのような伝承が伝わっています。
 米須按司には美しい奥さんがいた。按司の家来が奥方の美しさにほれ、ついには按司を殺してしまった。悲しんだ奥方に家来が自分の嫁になるようしつこく言ったので、主人を殺したのが家来であることをさとり、仇を討つことにした。「あなたの腕で一抱えする柱で家を造ってくれたら嫁になります。」家来がやっとのことで木を探し「こに木はどうか」と腕を回しているスキに隠し持ったクギを両腕に打ち込み奥方は仇討ちを成し遂げたと云う。
糸満市教育委員会

米須グスク,米須城跡
米須グスク,米須城跡




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城跡 | 20:30:01
尚宣威王の墓(しょうせんいおう)
尚宣威王の墓

表示版より
 尚宣威(1430〜1477年)は、第二尚氏円王の弟です。尚円が王位につくと、越来間切の領主となります。尚円の死後、世継ぎであった尚真が幼かったことから第二尚氏二代目の王位につきましたが、わずか半年で退位し、尚真に王位をゆずっています。その後、越来の地に戻り、1477年8月に没しました。

尚宣威王の墓

尚宣威王の墓





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| 20:30:01
屋富祖井(やふがー)
屋富祖井

表示版より(原文ママ)
屋富祖井について次のような伝説がある。
昔、大旱魃に会い具志上村。屋富祖村の人々は飲料水の確保に苦しんでいた。ところでたまたま、屋富祖家の犬がずぶ濡れになって山中より出てくるのを人々が見つけ、こんな旱魃に田野にみずのあるわけはないが、どこで浴びたのだろうかと不審に思い、ある日、その犬が山中にわけていく後を追うた、すると、果たせるかな清水がこんこんと湧き出る泉があった。人々は大いに喜び、その周囲の山を切り開き設備を施し通路を設けた。そして、ここより水を汲むようになり、以後いかなる旱魃にも飲料水に苦しむことはなかったと言う。そして、その犬が屋富祖家の所有であることにちなんで、屋富祖井と呼ぶようになった。
 屋富祖井やふすがーは、いつか発音が変わって屋富祖井やふがーと呼ばれるようになった。
 屋富祖井に、現在のような水汲場、洗濯場、家畜浴場等の設備がなされたのは、大正八年(1919)であり、大正十二年(1923)には摂政宮殿下の御成婚を記念して石碑が建立された。
 屋富祖村は、近世琉球時代の初期に、具志上村に合併して村はなくなった。
具志頭村教育委員会

屋富祖井,具志頭の遺構






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大川&樋川 | 20:30:01
赤名宮
赤名宮

宮古島市教育委員会HPより
赤名宮の祭神はうえか主と称し、公事・官職栄達の道を司り、成就隆盛隆昌の途を拓き給う霊感あらたかな神様である。子方母天太神が生んだ12方の神々は、池間島の大主御嶽(大主うらせりくためなうの真主)・下地の赤崎御嶽(大世の主)・平良の阿津真間御嶽(蒲戸金主)・西里添の美真瑠御嶽(美真瑠主)・そして赤名宮(うえか主)などに祭られているという「宮古史伝」。
神殿は1965年5月20日改築、さらに鳥居と他1部が1986年に改築されたが、地盤沈下や塩害等の影響で倒壊する恐れがあるという事で、2007年改築された。

赤名宮 宮古島史跡

赤名宮 宮古島史跡




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御嶽 | 20:30:01
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