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沖縄 ひろし

沖縄の城跡、石獅子、大川など歴史的遺構を紹介しています。
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松尾御嶽(まちゅーうたき)
松尾御嶽

表示板より
 小高い丘の上にあり、石造りのアーチの上に宝珠を頂く風格のある御嶽です。『琉球国由来記』には「松尾ノ嶽」、神名「松尾
森御イベ」と記されていrます。遥拝所といわれますが、どこへの遥拝所なのかはっきりしたことはわかっていません。アーチの中には3段の階段があり、その先は急な下り斜面となっています。アーチ手前には左右に石灯籠がおかれ、右側の灯籠の隣には火ヌ神があります。前面の広場は昔の馬場の一部です。
 松尾御嶽の東側(右手奥)にはナカヌウタキがあります。
南城市教育委員会 平成29年1月

松尾御嶽 南城市大里




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御嶽 | 20:30:00
赤名宮
赤名宮

宮古島市教育委員会HPより
赤名宮の祭神はうえか主と称し、公事・官職栄達の道を司り、成就隆盛隆昌の途を拓き給う霊感あらたかな神様である。子方母天太神が生んだ12方の神々は、池間島の大主御嶽(大主うらせりくためなうの真主)・下地の赤崎御嶽(大世の主)・平良の阿津真間御嶽(蒲戸金主)・西里添の美真瑠御嶽(美真瑠主)・そして赤名宮(うえか主)などに祭られているという「宮古史伝」。
神殿は1965年5月20日改築、さらに鳥居と他1部が1986年に改築されたが、地盤沈下や塩害等の影響で倒壊する恐れがあるという事で、2007年改築された。

赤名宮 宮古島史跡

赤名宮 宮古島史跡




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御嶽 | 20:30:01
佐和田ユークイ(さーだゆーくい)
佐和田ユークイ

表示版より
 祭神は、1457年に沖永良部から池間島を経て伊良部島の白鳥崎に着いた「大世之主」である。
 この御嶽の特徴は、佐和田の集落発祥(西村)が他の集落発祥と異なり、多良間や八重山、池間島、遠く糸満などと交易があったことを残していることである。また、宮古の烽火の制が流布されたとき白鳥崎に烽火が建ち、西村の人々が守った歴史をユークイの伝承としてもっている。
 伊良部町教育委員会

佐和田ユークイ 伊良部島

佐和田ユークイ 伊良部島

佐和田ユークイ 伊良部島





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御嶽 | 20:30:01
安里のテラ
安里のテラ

表示版より
 「安里のテラ」は、地元では「ティラ」と呼ばれ、社祠所には四体の霊石が祀られている。「琉球国由来記」(1713年)に、神名は「笑キョ、押明ガナシ、イベヅカサ、寄キヨラ」とされ、神体は権現の御告げで掘りだした三体と、海から漂着した一体であることが記されている。
 テラは、字安里の屋号「カニマンジャ(金万座)」の祖先が創設したとされ、代々その子孫が祭祀を司ってきた。建物の柱も同家の米倉(高倉)に用いられていたものだと言われている。
 旧暦の正月や9月9日のテラ拝みには、子孫繁盛、健康祈願、五穀豊穣、豊漁、航海安全等にご利益があるとして、字内の各家庭はもとより、近郊の漁民でにぎわう。また、一年中県内各地からの参拝者が絶えない。
 「安里のテラ」は、沖縄における霊石信仰及び洞窟を伴わないテラの形式や性格を知る上で貴重な文化財である。
平成7年3月
 沖縄県教育委員会
 中城村教育委員会

安里のテラ,御嶽




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御嶽 | 22:50:51
天后宮
天后宮

表示板より
天后宮
 天后宮は、一名ブサードー(菩薩堂)とも呼ばれ、本尊に中国の航海安全の神天妃(天后ともいう)を勧請して祀っている。
 1756年、尚穆王の冊封のため中国より来琉途中の冊封使一行(正使全魁、副使周煌、外200余名)の船が台風にあい、真謝港外で遭難した。時の地頭代喜久村絜聡をはじめとする島の人々により全員救助され真謝の蔵元にしばらく滞在して船を修理し無事に那覇に着き冊封の儀式を行うことができた。その時の神の佐に感謝して1759年、尚穆王により堂が創建された。工事にあたっては冊封使一行からも工費銀や扁額聯などが寄進された。銀はグサーグムチ(菩薩堂基金)として保管され、年々の祭祀料として明治末まで活用された。堂は三間四方の平入り入母屋造の本瓦葺きで、周囲に雨端(土庇)をめぐらし、屋根は段差を設け、しころ葺き風になっている。堂内は正面に仏壇があり、厨子を安置して天妃像を祀ってある。かつては天妃像の左右に千里眼と順風耳の二神を配し、楣には「玉山仙姥の扁額、仏壇左右の柱と入口両側の柱にそれぞれの聯がかかげられていた。

天后宮,久米島,沖縄,御嶽






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御嶽 | 23:34:03
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